風茶房 つのるなか

https://scrapbox.io/kazesabou/「細見綾子・沢木欣一 俳句アーカイブ」よろしくお願いします

天然の風吹きゐたりかきつばた 細見綾子

天然の風吹きゐたりかきつばた 細見綾子

天然の風吹きゐたりかきつばた 細見綾子

昭和60年の俳句で、「小堤西池 五句」の前書があるうちの一句です。

ある書籍での自選十句に綾子自身が選んでいますし、多くの俳人に鑑賞された俳句で、後期代表作のひとつです。

『脚註名句シリーズ 細見綾子集』に宮田正和さんが書いた解説をお読みください。

小堤西池での作。綾子は後日、この地を「見渡す限り杜若である。端山の裾が長く沼に入り込んでいて雉子が鳴いた。葭切りも鳴いている。自然は交響曲そのものであった」と記している。「自然は交響曲」この純真さが「天然の風」の母胎と言える。

 ―『脚註名句シリーズII-13 細見綾子集 棚山波朗編』(公益社団法人俳人協会)より引用

私も二度、ここへ行きましたが、その自然の豊かさ深さには感じるものが多く、興奮はしばらく後を引きました。
かきつばたが5月の風にのっている、それだけで十分なのに、キジやアマサギやトンボ、ウシガエル、カタツムリに湿地の草花、近くには麦畑に竹林。他にない景色が見られました。

この俳句は「天然の風」という言葉が印象強く、神々しさを表現しています。
「天然の風」はかきつばただけでなく、その場のすべての生きものと、綾子の身体をも吹き抜けていきました。大きな存在です。
一方、風はいつでもどこでも吹きます。自然へ畏敬の念は特別なものとしなくとも、自分と隣り合わせに在るのだと、そういう見方もできました。

写真はkazeが平成18年(2006年)5月、雨後の晴れの日に小堤西池(こづつみにしいけ)で撮ったものです。
以前の「俳句と写真」でもこの写真を使いましたが、その時はトリミングをしたため、今回のものがオリジナルです。
kazeは意図的にハイキー(露出オーバー)に撮りました。
綾子がこの句を作ったとき、小堤西池に同行したと言っていましたので、その日に見たものを意識して、そうしたのだと思います。他でハイキーに撮ることはほとんどありませんでしたので。
綾子がこの句を詠んだ昭和60年に比べると、このときのかきつばたは花数が少なかったのだと思います。ロングで引いた写真もありましたが、kazeはこの写真を選びました。