風茶房 つのるなか

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ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子

ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子

ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子

昭和13年の俳句です。

昨日の俳句に続き、綾子のもうひとつの代表作です。俳人でも、この句が一番好きと言ってくださる方は多いようですし、教科書や教材にも採用されているので、この句が第一の代表句と言ってもいいかもしれません。綾子が一番多く、色紙や短冊を書いたのはこの俳句です。『細見綾子全句集』(角川学芸出版)の装丁にも、この句を使いました。

病気療養で大阪の池田に仮住まいしていた頃に桃畑を見て詠んだそうです。
綾子の随筆集『俳句の表情』から引用します。

 私は平常心をこい願っているのだけれども全く時たまにしか訪れて来ない。しかし、ふとした時にそれを感ずることがある。ふだん着のままで桃の花を見ていた時、これがふだんの心だ、と思ったのである。自分の平常心は桃の花とふだん着がもたらしたのだった。
 ふだん着は着古した木綿。ほこりのつきやすい、皺になりやすいもの、ふだん着であることに甘んじているもの、そういうふだん着を私は好んでいる。いつも意識しているわけではないが、桃の花に対した時改めてわがふだん着が呼び覚まされたのである。

 ―『俳句の表情』(求龍堂)より引用

 「自分の平常心は桃の花とふだん着がもたらしたのだった。」と、桃の花とふだん着が並列になっているところに独特の視点を感じます。無欲無心なのです。
そして音読した時のリズムの良いこと!
深読みしなくても、すんなりと心の奥深いところに届く感じ、これが細見綾子の俳句が愛される理由だと思います。

写真について。
『俳句の表情』には、同時作の別俳句の解説で「実をとるための桃畑だと思うが、八重咲の濃厚な花で・・・(以下略)」と書いてあります。
桃には果実を食用とする果樹の品種と、花を観賞する花木(ハナモモ)の品種があります。果樹の品種はおおよそ一重咲きで、花木は八重咲きが多いようです。いろいろ調べましたが八重咲きの食用桃の花を探し出すことは出来ませんでした。綾子の見たのも八重の花桃だったのかもしれません。
しかし、kazeから、郷里の丹波の親戚で桃畑(食用)を持っている人がいたこと、山梨県一宮の桃畑(食用)を見に行くのを綾子は好んでいたことを聞いています。
この俳句単独でのイメージは一重の桃の花だと感じまして、近場でかなり探しました。
驚くことに、桜の撮影目的で以前の家の付近をウロウロしたときに、家のすぐ近所にあったのです。持ち主にお話を伺ったところ、時系列的に、残念ですが綾子はこの木を見ていないと思います。