風茶房 つのるなか

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女身仏に春剥落のつづきをり 細見綾子

女身仏に春剥落のつづきをり 細見綾子

女身仏に春剥落のつづきをり 細見綾子

昭和45年の俳句で、「秋篠寺 九句」の前書があるうちの一句です。

綾子の代表句ですので長くなりますが、この句が収められた第五句集『伎藝天』のあとがきから引用します。

昭和四十五年春、秋篠寺へ行ったが、過去にも何回か見ているのに、この日に見た伎藝天は実にすばらしかった。外は春雪の舞い降る冷え冷えとした堂内でこの像を仰ぎ見たのだが、その立ち姿に脈うてるごときものを感じた。黒い乾漆がはげて下地の赫い色が出ている。遠いいつからか剥落しつづけ現在も今目の前にも剥落しつづけていることの生ま生ましさ、もろさ、生きた流転の時間、それ等はすべて新鮮そのものだった。

 伎藝天に春剥落のつづきをり

はその時の句である。見事な永遠なものの前での時間の流れを切実に感じた。

 ―『伎藝天』(角川書店)より引用

当初の俳句では「女身仏」でなく「伎藝天」でした。

ここを変えた理由については『細見綾子全句集』(角川学芸出版)の栗田やすしさんによる「細見綾子句集解題」から。

綾子は、「女身仏としたのは、この﨟(󠄀ろう)たけた美しさ、均整のとれた立ち姿、はどう見ても女身、見事な女身である。」(「俳句」昭和62年12月号)と書いている。

また、「春剥落」は綾子の造語だそうです。

俳句を知らない私にも、この句の尊さは伝わってきます。
長い月日を経て剥落した仏像に究極の美を見た綾子は当時63歳。これからの生き方に何かを感じたのかもしれません。

参考:秋篠寺 伎芸天 - Google 検索

写真はイメージでお許しください。